■キャスト 〜元祖アイドルたちの登場〜

何よりも今でいうアイドルの元祖がこの劇場のトップスターだった明日待子さんだったという発見は極めて大きなものでした。15,6才の無垢な踊り子を芝居に子役(それも男の子役)として出して胸の膨らんだその少年の一言二言に若い観客は、ドキドキしたものでした。トップアイドルだった明日待子と小柳ナナ子は、当時の雑誌や新聞に紹介されコマーシャルのモデルとして活躍しレコードや映画出演と今と変わらない十代のアイドルでした。特に明日待子さんは、初代カルピスの「初恋の味」のコマーシャルモデルでした。

 
 

明日待子

大正9年3月釜石市生まれ。
昭和8年10月13才で「ムーランルージュ新宿座」入座。一躍その可憐な容姿と踊りのうまさで人気者になる。
昭和13年映画「風車」に出演。(黒川弥太郎主演、岸松雄監督)レコード「上海の街角で」吹き込む。
昭和16年芝居やバラエティだけでも雑誌モデルやキッコーマン、カゴメ、加美乃素などのCMにひっぱりだこ。特にカルピスの初恋の味の初代モデルとして活躍。
昭和23年映画「春爛漫狸祭り」(木村恵吾監督) 
昭和24年映画「鉄路の薔薇」(安達伸生監督) 須貝氏と結婚して北海道へ移住。
以後日舞の名取り「五條珠淑」として現在にいたる。

中村公彦

大正5年3月熊本生まれ。
昭和12年早稲田大学卒業し、三菱重工(株)入社。
昭和21年戦後ムーランの「小議会」から舞台美術で参加。
昭和27年松竹に美術部入社。小津安二郎監督「麦秋」に就く。木下恵介監督「二十四の瞳」などで美術監督になる。
昭和29年日活に移籍し、川島雄三、今村昌平、浦山桐郎の「幕末太陽伝」、「にっぽん昆虫記」「キューポラのある街」などの代表作のデザイナーとして活躍。

小柳ナナ子

大正9年1月東京生まれ。
昭和8年4月ムーランに入座。
抜群のプロポーションとダンスで人気者になる。
明日待子と二枚看板でトップアイドルに。
昭和17年さくらフィルムの井上氏と結婚。ムーランを続ける。
昭和26年ムーラン解散までいる。
NHK「お笑い三人組」の本屋のおばさん役が最後に引退。

森川時久

昭和4年東京生まれる。
昭和24年立教大の学生のままムーランの舞台監督になる。
昭和25年夏ムーランを辞す。
昭和29年文化放送からフジテレビ開局と同時に入社。ディレクターとして「われら青春」「若者たち」。
以後映画監督として「若者たち」三部作
「翔べイカロスの翼」「次郎物語」「蕨野考」など

三崎千恵子

大正9年9月巣鴨生まれ。
昭和16年ムーラン入座。
昭和21年戦後ムーランの座長夫人として会計と俳優とやる。
昭和26年ムーラン解散後、映画に行き、松竹の「男はつらいよ」のおばちゃん役で有名になる。
伊勢丹のきもの教室を晩年までつづける。

楠トシエ

昭和3年1月神田生まれる。
昭和24年6月ムーランに歌手として入座。
昭和26年ムーラン解散までいて三木鶏郎グループで活躍。
昭和30年NHK「お笑い三人組」「ひょっこりひょうたん島」。黒柳徹子とともに最初のテレビ女優。以後歌手としてCMソングの女王になる。黄桜「かっぱの唄」「仁丹の歌」など。紅白7年連続出場。
洋画の吹き替えとして「猿の惑星」「トイストーリ-2」がある。

野末陳平

昭和7年1月静岡生まれ。
昭和25年前後早稲田の学生でムーランの観客として入浸る。
昭和29年早稲田卒業後三木鶏郎「冗談工房」に参加。テレビ創生期でムーランの作家伊馬春部らの紹介で放送作家になる。ドラマ「ママちょっと来て」など
昭和36年東京ムーランを復興するが失敗。
昭和46年第九回参議院選挙で当選。
「みのもんた」の命名で姓名判断師として有名。

大空千尋

大正14年3月三島生まれの東京育ち。
昭和14年4月ムーラン入座。菊岡、小澤作品にでる。
昭和17年女学校に入学してムーランを辞す。
昭和23年4月戦後ムーランに再加入。女優として定評。
昭和25年ムーランにストリップの風が吹いてやめる。

中島孝

大正15年10月長崎生まれ。本名の義孝の名がムーラン名。
歌手。山本浩久の指導で楽譜を読むのが得意になる。
昭和21年の戦後ムーランの一期生から最後までいる。
コロンビアで歌手として活躍。「若者よ。恋をしよう」

ラサール石井

昭和30年大阪市生まれ。
早大時代に「コント赤信号」のメンバーになる。
平成に入ってTV「たけし・逸見の平成教育委員会」などでインテリ芸人で活躍。
1996年からアニメ「こちら葛飾区亀有公園前派出所」の両さんの声優を担当。
近年は、演劇の分野で脚本・演出を手がける。