ムーランルージュ新宿座とは、浅草の玉木座の支配人だった佐々木千里が1931年(昭和6年)の暮れに開館した芝居とレビューを提供する常設の劇場でした。魅惑的なレビューダンス以外に風刺劇や抒情劇で学生・インテリ層の人気を集め、新宿の街にその屋根に乗せた赤い風車の目印とともに戦争を挟んで20年間もオリジナルのドラマを発信しつづけました。そしてこの小さな劇場から有島一郎、望月優子、明日待子、森繁久弥、三崎千恵子、由利徹などの名優が巣立って行きました。歌ありコントありトークありのバラエティという言葉はこの劇場から生まれました。この劇場が閉館してから60年が経ち、数少ないムーランの出身者に取材をして隠れていた貴重な資料や証言と共につくりあげた記録映画です。